ドローンの歴史(中)戦争と無人航空機

「DH.82 タイガーモス」Wikiより
目次
戦争と無人航空機
大戦終結とUAV
第二次世界大戦が終結したことによって、アメリカとドイツのUAV開発競争も一旦の終息を迎えました。しかしUAVには新たな使用目的を見出され、研究開発が継続されることとなります。無人による遠隔飛行が可能であるUAVは、軍隊での標的機、いわゆる「ターゲット・ドローン」に適していました。
アメリカの標的機開発

「Firebee」 by Wiki
全長 | 7.0m |
翼長 | 3.9m |
総重量 | 1135kg |
エンジン | 1700lb |
速度 | 1140km/h |
アメリカが開発した「AQM-34Mファイアービー」は、ターボジェットエンジンを搭載し、パラシュートによる回収可能なターゲットドローンです。無線による無人飛行にも関わらず亜音速での飛行が可能であり、対空訓練でも目視による防空戦闘から対空機関砲によるレーダー照準に技術進化が進んでいきました。
イギリスの標的機開発

「DH.82 タイガーモス」by Wiki
全長 | 7.2m |
高さ | 2.6m |
重量 | 506kg |
エンジン | 130hp |
速度 | 175km/h |
イギリス空軍はハビランド社製の練習機「DH.82 タイガーモス」をベースに無人航空機「DH.82 クイーンビー」を開発しました。クイーンビーは無線による遠隔操作で、艦上での対空訓練用の標的として使用されていました。
1970年代 UAVの本格開発がスタート
1970年代に入り、科学技術の進歩がUAVの進化が始まりました。通信機器や映像装置の小型化や高性能化によりアメリカ、イスラエルでは調査・偵察任務を主とするUAVの開発が行われました。
イスラエルのUAV開発
イスラエルは1973年の第四次中東戦争で「IMI(Israel Military Industries) マスティフ」を本格投入し、先頭による兵力の損害を大幅に減らすことに成功しました。さらに後を追うように投入された「IAI(Israel Aerospace Industries)スカウト」も大きな戦果を残すこととなります。
「RQ-2 パイオニア」誕生

「RQ-2 パイオニア」 by wiki
全長 | 4.0m |
翼長 | 5.2m |
総重量 | 205kg |
最高高度 | 4.6km |
速度 | 200km/h |
イスラエル軍のUAVの活躍に目をつけたのはアメリカでした。1986年アメリカの「AAIコーポレーション」とイスラエルの「IAI(Israel Aerospace Industries)」は共同で「RQ-2 パイオニア」の開発に成功します。
5時間の飛行が可能であり、主に偵察任務のため米海軍、米陸軍、米海兵隊、韓国陸軍で実戦配置され、生産数は175機にまで上りました。
カタパルトを利用して離陸し、回収時には大型ネットを利用します。撮影した映像は、機体に設置されたセンサーによりリアルタイムでデーターリンクが可能でしたが、50kmが限界とされていました。
RQ-2 パイオニアの戦果
1991年の湾岸戦争では、アメリカ海軍の戦艦ミズーリがファイラカ島に砲撃後、着弾確認のためにパイオニアが発進し、白旗をあげて投降するイラク兵を映したことで有名です。
RQ-1 プレデター
RQ-1 プレデター

「RQ-1 プレデター」 by wiki
全長 | 8.2m |
翼長 | 14.8m |
総重量 | 1020kg |
航続距離 | 3704km |
最高速度 | 217km/h |
「RQ-1 プレデター」は、1994年ジェネラル・アトミックス社による本格的な開発がスタートし、1996年には部隊での運用が決定されたUAVの最高傑作です。
衛星を利用したデーターリンクにより、さらなる遠隔での操縦・管制が可能となり、航続可能距離は3700㎞にまで拡大し、従来あったミッション上の距離の制約が大きく取り外されました。
RQ-1はパイオニアと比較すると重量は5倍以上、サイズも一回り以上大きく、数多くのセンサーを搭載することが可能である利点があったため、攻撃用の武装を搭載することが可能となり、武装型派生機がいくつも生まれました。
攻撃型ドローンの誕生「プレデター MQ-1」

「プレデター MQ-1」 by wiki
アメリカ空軍によりプレデターにパイロン・レーザー指示器などの追加や翼改修、ヘルファイア対戦車ミサイルを搭載させることで、攻撃能力を付与した機体が「プレデター MQ-1」です。
戦果と課題
アフガニスタン、パキスタンでのタリバン・アルカイダ攻撃に参加し、一定の戦果を上げている一方で、誤爆による民間人の犠牲が多いことが問題として挙げられています。